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名古屋地方裁判所 昭和58年(タ)206号 判決 1985年8月26日

原告 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 浅井岩根

被告 乙山松夫

<ほか二名>

右被告三名訴訟代理人弁護士 正村俊記

主文

一  昭和五八年一〇月二五日名古屋市千種区長に対する届出によってなされた被告乙山松夫及び同乙山竹子と同乙山花枝との養子縁組は無効であることを確認する。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1(一)  原告と訴外乙山一郎(以下「一郎という。)とは、昭和四七年八月二八日、婚姻の届出をなして夫婦となったところ、昭和五二年六月三〇日、原告において、被告乙山花枝(以下「被告花枝」という。)を出産したので、一郎は、同被告が原告と一郎との間の長女として同日出生した旨の届出をなした。

(二) 原告と一郎との間で、昭和五六年九月九日、名古屋家庭裁判所において、被告花枝の親権者を一郎と定め、同人において同被告を監護養育することとするも、原告は、昭和五六年九月以降毎月一回同被告と面接すること等の条項による離婚の調停が成立した(以下「本件離婚調停」という。)。

(三) 被告花枝の代諾者としての一郎と一郎の実父母である被告乙山松夫(以下「被告松夫」という。)及び同乙山竹子(以下「被告竹子」という。)は、昭和五八年一〇月二五日、名古屋市千種区長に対し、被告花枝を同松夫及び同竹子の養子とする縁組届出(以下「本件養子縁組」という。)をなした。

2  しかして、本件養子縁組がなされた経緯は次のとおりである。

(一) 被告花枝は、原告と一郎との婚姻期間中に出生したが、真実は原告と一郎以外の男との間の子であって、一郎は同被告の父ではない。

(二) 原告は、昭和五七年九月四日、一郎を相手方として名古屋家庭裁判所に、被告花枝の親権者の変更を求める審判の申立をなしたが、その理由の一つとして、同被告は一郎以外の男性の子であると主張し、右審判手続において、一郎と同被告との間の親子関係存否につき鑑定の申出をした。

その結果、同裁判所は、昭和五八年九月二〇日の期日において、右の点につき鑑定を命ずる旨を決定し、同年一一月八日に鑑定人尋問を行うこととした。

(四) しかるに、右鑑定人尋問が行われる直前であり、もとより右審判事件係属中の昭和五八年一〇月二五日に本件養子縁組がなされたものである。

(五) なお、原告は、右審判手続進行中再三にわたり、一郎に対し、被告花枝と面接させるよう要求したが、すべて拒否された。

3  ところで、本件養子縁組は次の理由により無効である。

(一) 本件養子縁組の当事者間には、もともと縁組をなすべき理由も必要もなかったのであり、このことと前記経緯に照らすと、右縁組は、前記親権者変更の審判手続を本案の判断に至る前に終了させ、かつ、原告を被告花枝に面接させないようにするという目的を達するための便法としてなされたものであることは明らかであって、真に養親子関係の設定を欲する意思なくしてなされたものであるから、その効力を生ずるに由のないものである。

(二) また、一郎は、被告花枝の真実の父ではないから、養子縁組につき同被告の代諾権者となりえず、同人を代諾者としてなされた本件養子縁組は、ひっきょう、当事者間に縁組をする意思がないこととなるか、又は当事者が縁組の届出をしないことに帰するのであって、無効のものである。

仮に、一郎が同被告の代諾権者であったとしても、右(一)の事実関係に照らすと、当該代諾は、代諾権の濫用というべきであるから、その効力を生ぜず、右縁組は、右と同一の理により無効であることに帰する。

よって、原告は、本件養子縁組の無効確認を求める。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因1の各事実はいずれも認める。

2  同2(一)の事実は否認する。

同2(一)ないし(五)の各事実はいずれも認める。

一郎は、原告と被告花枝との面接を許容すれば、落ち着いた生活を送っている同被告の情緒を不安定にする虞があると考え、同被告の幸福のため右面接を拒否したものである。

3  同3の各事実は否認し、主張は争う。

被告松夫及び同竹子は自分達の子供に対するのと同様の愛情を注いで被告花枝を監護養育し、同被告も安定した状態で伸びやかに成長している。しかして、原告の親権者変更審判の申立及び親子関係存否の鑑定の申出等が本件養子縁組をなす契機となったことは否定しないが、これらのことが、かえって、被告松夫及び同竹子の同花枝に対する愛情をより深く強いものにし、ひいてはこれを養女にしたいとの気持を生ぜしめ、一郎も右心情を理解して、両者の養子縁組を快く承諾し、本件養子縁組に至ったのであって、これはもとより当事者間の真意によるものであり、また、これにつき一郎が代諾権を濫用したなどということもありえない。

第三証拠関係《省略》

理由

一  《証拠省略》によれば、請求原因1の各事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

二  そこで、本件養子縁組がなされた経緯等について検討する。

前項の認定事実に《証拠省略》を総合すれば、次の事実を認めることができ、右認定をくつがえすに足りる証拠はない。

1  一郎と原告との婚姻生活は、当初から性格の違いなどによって円満とはいえず、昭和四八年六月に早産の男の子がすぐ死亡したことなどから、原告は、離婚を考えるようになったが、一郎がこれに応じないまま、夫婦仲は次第に溝が深まった。

そのころから、原告は、時折他の男性と肉体関係を持つようになった。原告が昭和五二年六月に被告花枝を出産した後も、事態は好転しなかった。

2  原告は、昭和五六年一月二六日深夜、一郎との争いをきっかけに一人で家出したため、その後、一郎と被告花枝は原告の両親の勧めもあって、原告の両親と同居するようになった。

原告は、その後は一郎及び同被告と同居生活をすることなく、同年六月三〇日、名古屋家庭裁判所に離婚調停を申し立て、一郎も承諾した結果、原告と一郎との間で、同年九月九日、本件離婚調停が成立した。

3  一郎と被告花枝は、右離婚後もしばらくの間、原告の両親と同居していたが、昭和五七年八月一五日以降、被告松夫、同竹子と同居するようになった。ところで、原告は、離婚後、一郎に対し、本件離婚調停条項に基づいて、被告花枝に面接させるよう再三要求したものの、一郎が同被告の病気等を理由にほとんどこれを拒否したので、同年四月ころから、一郎に無断で同被告に会うようになっていたが、同被告が被告松夫及び同竹子のもとで生活するようになってからは、同年八月二九日に一郎が同行して被告花枝と明治村に赴いた以外、一郎らの反対等により一度も同被告と面接していない。

4  原告は、被告花枝が原告の両親のもとを離れたため、昭和五七年八月末ころから何度も、一郎に対し、同被告を引き取って原告のもとで養育したいと申し入れたが、一郎がこれを承諾しなかったので、同年九月四日、名古屋家庭裁判所に対し、一郎を相手方として、同被告の親権者変更の審判を申し立てた。

右事件は、同裁判所の調査を経て調停に付され、二度にわたって期日が開かれたものの、双方の意見が対立し、調停は不調となり、審判手続に移行したものであるが、調停に付された後、原告は、突然、親権者を変更すべき理由の一つとして一郎が同被告の真の父親ではない旨の主張をなし、審判手続に移行後の同年一二月七日、一郎と同被告間の親子関係存否の鑑定を申し出た。一郎は、鑑定により右親子関係が否定されることもありうること等を危惧し、強く右申出に反対したが、同裁判所は、昭和五八年九月二〇日、右の点につき鑑定を命ずる旨決定し、同年一一月八日に鑑定人尋問を行うこととした。その間、原告は、同裁判所に対し、いずれも一郎を相手方として、昭和五七年一一月二五日に同被告との面接の時期、方法を定める審判の申立を、昭和五八年六月に面接させる義務の履行勧告を求める申立をなし、後者の申立は容認されたが、一郎は、ついに当該勧告に従わなかった。

5  ところが、一郎、被告松夫及び同竹子は、昭和五八年一〇月二五日、前記鑑定人尋問が近い将来なされることを熟知していながら、もっぱら被告竹子の提案に基づいて、本件養子縁組をなした。このため、同年一二月一五日、前記親権者変更の審判及び面接の時期、方法を定める審判の各申立は、事件本人たる被告花枝が同松夫及び同竹子の共同親権に服することになった以上認容の余地がないとして、いずれも却下された。

6  なお、被告花枝は、昭和五七年八月一五日以降、一郎、被告松夫及び同竹子と同居し、同人らに監護養育されているが、同年九月一日から保育園に通園し、被告松夫及び同竹子がその送迎をしていた。同保育園の父兄会には一郎が、それ以外の集りにはもっぱら被告竹子がそれぞれ出席し、保育園での被告花枝の生活には特に問題はなかった。また、被告花枝は同年一〇月からエレクトーン教室に通っているが、これは被告松夫の発案であり、同被告が送迎している。被告花枝は、昭和五九年四月に小学校に入学したが、入学式や父兄会などの会合には、もっぱら、被告竹子が出席している状況である。

7  ところで、被告松夫は、明治四〇年七月一〇日生まれで、本件養子縁組当時七六歳であり、そのころから、やや耳が遠く、高血圧のため通院治療を受けていて職業はなく、被告竹子は、大正四年七月二〇日生まれで、本件養子縁組当時六八歳であった。

なお、右両被告の間には、一郎のほかに二人の息子がある。

三  そこで、まず、請求原因3(一)の主張について検討する。

1  前記認定の事実関係によれば、本件養子縁組は、親権者変更審判事件の手続において被告花枝と一郎との間の親子関係存否の鑑定が実施されることが明らかとなった昭和五八年九月二〇日以降初めて、当該当事者間において発意されたものと推定すべきものである。

もっとも、《証拠省略》中にはそれぞれ、右の発意は右時期以前になされたもので、たまたまその届出が遅れたに過ぎないという趣旨の供述部分があるが、右両供述部分の間にはかなりのくい違いがあること、発意後その届出が遅れたことについての合理的な理由あるいは発意するについての首肯しうる事情の立証もないことその他弁論の全趣旨に照らすと、右各供述部分はたやすく措信し難いものである。

2  しかして、前記認定のとおり、被告花枝に対する監護養育の状況は、本件養子縁組がなされた前後において何らの差異はないところ、そのころ右縁組をなすべき合理的な理由ないし必要性が生ずるに至ったことの主張、立証はない。

被告らは、被告松夫及び同竹子においては、同花枝に対する愛情を次第に深めていたところ、当該親権者変更審判の申立及び鑑定の申出等がかえって右愛情を強めることとなり、その結果本件養子縁組をなす決意をするに至った旨主張し、《証拠省略》中には右主張にそう供述部分もないではないが、右愛情の程度の点はさておき、その余の点は、本件養子縁組をなすべき合理的理由ないし必要性を肯認する事情とは到底なしえないところであるのみならず、かえって、前記認定の被告松夫及び同竹子の年令、健康状態、家族関係その他の事情を勘案すると、本件養子縁組は、極めて不自然かつ不合理なものというべきである。

3  右1、2の考察と前記認定の事実関係を総合すると、被告松夫及び同竹子としては、真に愛情をもって同花枝の監護養育に当たってきていることは否定できないところであるが、それ故に、同被告を手離し難く、また同被告と原告との面接も好むところではなかったのであり、一郎とて同様であって、本件養子縁組は、その届出自体については当事者間に意思の一致があったものの、ひっきょう、一郎と同被告間の親子関係存否の鑑定を回避するとともに原告申立の親権者変更審判事件を本案の判断に至ることなく終了させ、ひいては原告と同被告との面接の余地をもなくすことを企図し、そのための便法として仮託されたものに過ぎず、真に養親子関係の設定を欲する意思なくしてなされたものと断定せざるをえない。

してみれば、本件養子縁組は、民法八〇二条一号により無効のものというべく、請求原因3(一)の主張は理由がある。

四  以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤邦晴 裁判官 小松峻 佐久間政和)

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